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2016.08.20 自分史・家族史「信仰の遺産講座より」 投稿者:高橋幸夫

戦前戦後の教会を支えた人たち… 高木冨五郎兄弟、奈良冨士哉らの貢献
信仰の遺産講座 第5回  7月30日東京神殿別館  福田眞兄弟・加藤芳弘兄弟

講演会場に展示されたパネルで教会の発展に尽くされた初期の会員のお姿・活動を拝見。これは何冊ものファイルに収められた数々の記録から写したもの。とても見事な資料の収集に驚きました。これらの記録は柳田聡子姉妹との出合いをきっかけに東に西に足を運んで丹念に拾い集められた加藤兄弟の長年の汗の結晶です。敬服!です。講義は日本教会史に輝く先人のすばらしい働きを、でも、その人たちのつらい苦難の経験、またおもしろおかしい笑いの話も交えて加藤兄弟(沼津ワード)と福田兄弟(ひばりが丘ワード)がお話されました。一部を紹介致します。
( 書籍「世紀を超えて」「日出づる国と共に」からも一部引用 )
奈知江 常姉妹(なちえ つね)
1856年生まれ。彼女は英国教会のクリスチャンでしたが、幼児洗礼に疑問を抱いていた。日本伝道開始まもない末日聖徒の宣教師に出会って8歳になってからバプテスマを行なう当教会に共感し1904年に改宗した。熱心に集い学び宣教師を助け、困っている人を助け、また日曜学校の教師も務めた。死者の救いに関心を持つようになりハワイ神殿の儀式を切望するようになった。同時にハワイでの日系人への伝道の助けを奈知江姉妹に求められ1923年、帰還宣教師の援助、伝道会長のはからいでハワイに移住した。彼女は日本で改宗した人では日本人で最初の神殿参入を果たした。日系人に伝道し、日本語の教会の本・資料を自分のお金で買って風呂敷に包み片道8マイルもの道を歩き、1軒1軒尋ねた。また困っている人や病気の人を見舞い、その家族を助ける活動に従事した。日曜学校で教え、日本に帰省した時に調べた系図で100人以上の名前を提出。などすばらしい生涯の働きは死者に対しても生者に対しても救いをもたらしたのです。「彼女一人の働きは当時のハワイの宣教師全員と同等である」と、ホノルルの日本伝道部を管理していたロバートソン長老は称えた。奈知江姉妹の死後、ハワイ日本人支部の池上兄弟により、日本から取り寄せた墓石でお墓が建てられた。彼女の働きは今でもハワイの人たちの心に残っている。
奈知江常姉妹が蒔いた種 ハワイで改宗した日系人
1956年 北部極東伝道部会長   アドニー・Y・小松
1968年 日本沖縄伝道部会長夫人 チエコ・N・岡崎
1970年 日本西部伝道部会長   ラッセル・N・堀内
1973年 日本西部伝道部会長   アーサー・K・西本
1973年 日本名古屋伝道部会長  サトル・佐藤
1974年 日本神戸伝道部会長   ケンジ・赤木
1974年 日本仙台伝道部会長   ウォルター・S・照屋
1974年 日本東京伝道部会長   ラルフ・N・志野
1977年 日本仙台伝道部会長   リチャード・N・クワック
1981年 日本仙台伝道部会長   サム・K・島袋

日米関係悪化により日本伝道部は1924年に閉鎖された。戦後、(後に戦後初の伝道部会長となる)エドワード・L・クリソルド中佐は会員と連絡をとるため1945年10月30日の東京毎日新聞に右の広告を出した。広告を見て渡辺田鶴子姉妹と奈良冨士哉兄弟はホテルにクリソルドを訪ねて伝道部の再開を懇願した。
急告

取材:高橋幸夫

  • 高橋幸夫兄弟
    貴重な記録をありがとうございました。この信仰の遺産を多くの人たちが継承するためには、更なる情報発信が必要となります。如何なる人物も福音を宣べ伝える人がいたので改宗できたと同じように、この記録も次の世代へと繋げるためにできる努力に励みましょう。 -- 岸野みさを 2016-08-20 (土) 20:19:31

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