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2017.08.06 自分史・家族史「祖先探訪かぞいろは(4)―保科―」 投稿者:岸野みさを

900年続く氏姓

(7月30日聖餐会で下記文章の抜粋を話しました)

私の母の名前は保科志づ枝と言います。保科の苗字の由来は現在の長野市若穂保科が発祥の地で1162年諏訪大社の諏訪盛行が初めて保科の地に住み、その息子の行遠が保科行遠を名乗ったことが「信濃史源考」に記されています。

日本人の苗字は既に絶えて使用していないものも含めると27万ほどあり、地名が苗字になったもの、職業や屋号が苗字になったものなど14種類に分けられて、そのうち地名が苗字になったものが8割を占めるそうです。

 古代支族である諏訪氏は神族で、神族というのは神に属する種族と言われていますが、神家一党33氏の8番目に保科があると「太平記」にも記されていて、現在も15家はウイキペディアで検索できます。

 では、神族諏訪氏はどこからきたのでしょうか?紀元前660年初代天皇である神武天皇の息子の神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の子孫である、と研究されています。このカムヤイミミノミコトの名は古事記にも日本書紀にも登場し、ミコトは尊い方への尊称ですから「カムヤイミミ」はユダヤ人の言語学者故ヨセフ・アイデルバーグの書物ではこの名前はヘブライ語では「カンヤイ」といって、その意味は「エホバの祭司」だということです。

アイデルバーグはイスラエル国防軍の士官でしたが、失われた十氏族を求めて世界を旅し、京都では神社の神官見習いとして10年を過ごし、日本書紀を読みこなし、カタカナやひらがながヘブライ語から作られたことを証明し、日本語とヘブライ語の類似語3000語を見出し、言語だけでなく、天皇家と神道についても研究し、文化の面でも、祭りや、山伏、舟歌、相撲、お風呂の入り方まで類似していることを発見しました。1985年に交通事故で世を去りましたが、存命であれば更に多くの大和民族の謎を究明できたことでしょう。

 さて時代が下って1542年保科正直の正室に徳川家康の義妹多劫(タケ)姫が迎えられ、2人の間に生まれた息子保科正貞は後の飯野藩初代藩主になります。父正直と跡部越中守娘の間に生まれた兄の正光は関ヶ原の戦いの軍功により高遠藩初代藩主になり、保科ではじめて大名が誕生しました。現在500本のコヒガン桜で有名な伊那市の高遠城の城主でした。
最もこの桜は明治時代に植えられたそうです。

 更に時代が下って1611年、徳川家康の息子の2代将軍徳川秀忠に4男が生まれて幸松(ユキマツ)と名づけられました。正室でもなく側室でもなく、秀忠の乳母の侍女のお静(神尾栄嘉の娘於静)との間に生まれたその子を正室の陰謀から守る為に、生まれてすぐに武田信玄の次女の見性院に預けて、ここ八王子で育てられました。7歳になった時、保科正光の養子に出され保科正之と名づけられ実母と一緒に高遠城で成人し、21歳の時、養父正光が逝去したので高遠藩3万石の藩主になりました。 

 正之は父秀忠と親子の対面をすることはできませんでしたが、兄の家光は、鷹狩りの途中に立ち寄った保科家の菩提をつとめる成就院の住職から正之のことを聞きました。

 藩主になった報告に江戸城に上った正之は並み居る大名たちの末席に座ると、3代将軍家光の腹違いの弟であることを知った家臣が上席に行くように勧めるのですが、正之は「家臣の一人の若輩者です」と言って固辞しました。弟ではなく家臣として仕えるという、謙虚な態度に家光は心を動かされます。2代将軍である父の霊廟の造営を任せるなどして、26歳で最上山形藩20万石を任せました。3万石の高遠藩の7倍でした。最初は洪水や凶作から領民を救うことでした。正之は社倉制度を設け米や麦を備蓄して凶作や飢饉に備えました。社会の倉と書く社倉制度はエジプトに売られたヨセフのとった政策と同じです。31歳の時会津藩23万石の初代藩主に任命され、有名な会津藩家訓(カキン)15ヶ条と什の掟は彼が制定しました。
   
徳川家康の父は松平ですが、将軍家光から松平を名乗るように言われても断り、終生保科の恩を忘れなかった正之でしたが、孫の代になってから会津藩主は松平に改姓して、幕末まで藩主を勤めています。保科の家はどうなったかというと、正光の弟正貞が1648年に分家を興しました。飯野藩の藩主を200年間10代に渡って、1871年の廃藩置県まで保科家が勤めました。現在40歳代の男性が保科の直系の当主ですが、またこの当主の祖母は徳川から嫁いできています。

全国で一番多い苗字は「佐藤」でおよそ1,894,000人いるそうです。それに対して「保科」は約13900人ですから、まさに存亡の危機に瀕しています。私の父方の祖母の直系に「宝賀」と言う苗字があるのですが、宝賀は90人しかいません。更に絶滅寸前は「八王子」という苗字でたった10人しかいません。これは2017年4月の政府発表統計及び全国電話帳データーを元にルーツ政策委員が独自に算出したものです。「岸野」は全国に12000人で「謝花」は2400人だけです。「岡本」は299000人で全国47位です。苗字由来ネットを開くとホームに苗字を打ち込むとすぐに人数と順位が表示されます。

話を戻しますと、1651年、将軍家光は48歳で、正之に「徳川宗家を頼む」と息子家綱の輔弼役、つまり補佐役になってくれとの遺言を遺して病死しました。徳川御三家ではなく正之に託しました。家綱は11歳で第4代将軍になり、正之は実質的な最高実力者となり、江戸幕府の最高職(定員は一人)の大老となりました。
十代の将軍の別名は「左様にせい様」だったそうです。何を審議しても「左様にせい」とのお言葉だったからだそうです。正之は家康以来武力によって制圧した体制を、文治政治に切り換え、28年間の安定政権を樹立しました。

玉川上水路の開削によって江戸市民に安定した水の供給をし、年貢の税制改革と減税の実施、お家断絶を防ぐ末期養子制度禁の緩和、大名証人(人質)制度や先君への殉死制度を廃止して、90歳以上の老人には、身分を問わず、一日玄米5合を支給して、これが日本の年金制度の始まりとなりました。こうして江戸時代の3大名君の1人となり、他は、水戸藩主の徳川光圀、岡山藩主の池田光政です。

1657年(明暦3年)1月18日江戸大火、江戸の大半が焼野原になり、江戸城も天守閣と本丸、二の丸、三の丸が焼け落ちて、残ったのは西の丸だけでした。徳川幕府始まって以来の大災害で100万人の人口のうち10万人が死亡しました。正之は大名や旗本、神社仏閣、江戸庶民の救済と復興に力を尽くして、保科の屋敷を守ることを次男正頼17歳に任せました。長男は4歳で死亡しています。この会津藩邸跡は現在皇居前広場の噴水のある場所です。任された正頼は過労のために2月1日に亡くなりました。正之は被災者に迅速な粥の炊き出しを実行し、浅草に火の手が迫った時、その地に在った幕府の貯蔵米をただで放出し、参勤交代で来ていた大名たちを国へ帰して、米や材木の値段の価格高騰を抑止しました。敵の侵入を防ぐために細かった道路は9間(16、4メートル)幅に広げられ、避難場所の広小路を作り、上野広小路は現在も上野広小路駅として残っています。隅田川に初めて橋を架けました。両国橋です。それまでは敵の侵入をふせぐために橋ではなく、渡し船を使っていたそうです。権力と権威の象徴である天守閣の再建は正之によって復興予算にとって変わったのです。
現在の皇居東外苑の一角には、天守閣の土台である天守台だけが残っています。加賀藩主前田綱紀(正之4女摩須の夫)によって御影石で再築されましたが天守閣は造られませんでした。

 保科正之は晩年結核に感染して、最後は失明し、1672年12月18日(寛文12年)61歳で神と民に仕えた生涯を閉じました。寺社奉行の幕府神道方に任じられていた吉川推足(ヨシカワ コレタリ)により吉川神道の奥義を極めたとして「土津(ハニツ)」霊神号を授けられ土津神社の祭神となりました。土津神社の裏に墓所があり、そこは遺言通り福島県猪苗代町見祢山にあります。猪苗代湖が一望できる磐梯山麗で、今は観光名所となり、清作少年(野口英世)も参拝していたそうで写真が飾ってあるそうです。

私の母の保科志づ枝と保科正之はまだ、系図上では繋がってはいません。繋がっているのは約900年の時を越えて続いてきた保科の苗字と九曜の家紋です。1785年まで遡ったのですがそれ以上は戸籍謄本もなく、お寺さんの過去帳なども個人情報保護の為に調べることができません。

 諏訪家、保科家、徳川家、松平家と神殿の儀式を見ると、全て完了している者や進行中の者がいました。福音が回復される以前に生を受けた先祖も子孫と結び固められるという神殿の儀式と誓約はエライジャの強大な力によるもので、それは世に在って世のものではありません。

岸野兄弟の父方の直系に夫が織田で妻が上杉、夫が岸野で妻が織田という夫婦がいて織田家、上杉家の人々の身代りのバプテスマを5月6月7月とユースの皆さんが受けて下さり、また、ユースの指導者の皆さんありがとうございました。また、松下姉妹はじめとしてご家族の皆さんからイニシャトリやエンダウメントを受けて頂きありがとうございました。そして再びfamily treeに取り組むことを指導して下さった牧瀬姉妹に感謝します。牧瀬姉妹はこの目の前の名前の人を救うという強い御霊に動かされています。

 私たち一人一人は前の時代に懸命に生き、命と名を繋げてくれた先祖たちの「シオン山の救い手」となるべく主の業に召されていることを証します。イエス・キリストのみ名によりアーメン。


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