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2017.10.26 自分史・家族史「発寒川でのバプテスマ」 投稿者:魔女

                 
 私は1932年9月10日、鉄鋼の町として知られた北海道室蘭で生を受け、何不自由なく生活していましたが、1939年に起きた第2次世界大戦が進むに従がい、「勝った、勝った」の状況が変化を見せはじめました。1945年8月15日の終戦の前後から田舎に疎開したり、食糧難が続き、持っていた振袖、雛人形、客用食器類等々はすべて食料に変わりました。学校でも食料増産に畑仕事が授業の時間となったこともありました。

 父の都合で札幌に移転、私は札幌北一条に在った郵便局に勤務しましたが、末日聖徒イエス・キリスト教会旧札幌伝道本部から2丁目ほどの距離にありました。当時は宣教師の日常の費用は郵便局の為替で送金されていたため、日に何回となく宣教師が訪問してきました。そんなときマース長老が英会話のチラシをおいていってくださり、レッスンが始まりました。1958年1月頃からレッスンを受けて、4月20日に、バプテスマフォントが無かったため、当時は発寒川(ハッサムカワ、アイヌ語に由来)でマース長老によりバプテスマを受けました。コートやバスタオルなどで姉妹たちが囲って下さり、今では想像出来ない状況でした。

 当時はモルモン書も文語で宣教師の説明も半々で理解が難しいことが多かったです。でも宣教師は嘘を言ってないと思うので、バプテスマを受けましょうと答えたのを思い出します。

 その頃の教会堂は日本の家屋を改築していたため、重要な柱が礼拝堂に6本立っていました。それでも毎週あちら、こちらと借りての集会をすることから思うと感謝でした。1960年結婚した私たちはその6本の柱の中で披露宴をしたことも今となっては懐かしい思い出となっています。全ては時代と共に変化しますが、良く変わっていくので楽しいです。

 その後兄弟の仕事で東京に住を構え、久し振りに郷里に帰り、懐かしいバプテスマを受けた発寒川に行ったところ、川岸はすっかりコンクリートで作られ、重要な役割を果たす河川となっていて驚きました。自分はこの川のように大切な存在になっているかと反省した一時でした。

 これからの信仰生活で回りが良く変わっても、もしくは悪く変わっても、試しに心しなければなりません。先駆者が残された信仰を守り、後世に繋げていく責任を感じる、今日この頃です。又何時かお会いしましょう。  散文にて。    

  • 姉妹は生ける水を運ぶ大切な河川になっています。私もそのお恵みを頂いていますのでいつまでもお元気でお過ごしください。 -- パシリーヌ 2017-10-27 (金) 10:49:34

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