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2018.05.25 穀粒記者レポート・『建築宣教師の足跡 第1回、第2回』投稿者:工藤駿一

建築宣教師の足跡
      1962年〜1983年

temple up
画像の説明
    1962年「聖徒の道」5月号から(上の絵は東京北、西、南支部教会堂)
これは過去1962年から1985年の間に、末日聖徒イエス・キリスト教会の建築宣教師制度によって、日本全国25カ所にわたる教会堂を建築した時の、各地から馳せ参じた兄弟達と建築にまつわる記録です。
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はじめに
 この書を出版するに当り、まず神に感謝を申し上げます。そしてこのために資料提供を快く協力して下さいました多くの元建築宣教師の皆さんに心より感謝致します。遠く北海道旭川からこのためにカンパをして下さった元建築宣教師の高杉保夫兄弟やまた同じ北海道の厚別ワードの中田和彦兄弟には一方ならぬ御援助を頂き感謝致します。またPBOの成田兄弟を始め、横浜ワードの遠藤大兄弟や教会歴史保存会の沼津ワードの加藤芳弘兄弟には、この紙面を持ちまして心からの感謝を申し上げます。その他この書のために快く協力して頂きました多くの兄弟姉妹の皆様には特別に心から感謝を致します。
 私がこの『建築宣教師の足跡』を記録として残そうと考えましたのは、もうずいぶん昔の事でしたが、なかなか現実との戦いで、時間が取れずにおりました。時間があれば古い「聖徒の道」(現在はリアホナ)をひも解いては建築宣教師や建築に関する記事をチェックして関連記事を書き出して、そのほとんどの時間を資料集めに費やしておりました。

 1962年に始まり1983年頃に終了したこの建築宣教師制度による教会堂建設、あれからもう56年が過ぎ去り、あの時20代だった人は70歳を過ぎてしまい、それも教会歴約35年以上のごく限られた兄弟姉妹にしか記憶の中になくなってしまった今、かつて、日本の全ての会員たちが心を一つにし、思いを一つにして、主の教会堂建築のために、その全てをかけて取り組んだ素晴らしい時代があったことを記録しておきたいと考えておりました。
 今では日本中に散在した元建築宣教師の方々の連絡先が全く分からない状態でした。が、知っている方も何人か居て、そこから始めました。とはいいましても、私が知っている、あるいは記憶にある元建築宣教師たちは、私が一緒に働いたごく限られた初期の兄弟姉妹(姉妹というのは宣教師達をお世話して下さいました、奈良及び新田姉妹のことです。彼女達も建築宣教師として召されております)達で、日本中で働かれた元建築宣教師達を全て把握しているわけではありませんでしたので、一体全体正確には何人の人々が建築宣教師として働かれたのか見当も付きませんでした。もちろんその中にはフルタイムではなく、伝道を終えてアメリカに帰る数ヶ月から数週間や、日本の兄弟達も伝道に出る、あるいは大学に入る数ヶ月間を建築宣教師として働いた方々も数多くありますので、それら全ての兄弟達を把握するのは至難のことでありました。
 それでもなんとか記憶をたどって、建築制度によって建てられたと思われる現代ワードや支部の会長宛に個人的にPBOの許可を得て手紙を送りました。またPB0(教会本部)の成田兄弟や佐藤之信兄弟に直接協力を求め、建築関係担当の兄弟たちを紹介していただくなどして資料を集めました。けれども何せ時が経ち過ぎているためか、各ワード、支部の歴史記録が全く残っていないらしく、ほとんどのところから返事はありませんでした。私は大変失望しました。なぜなら建築宣教師制度による建築計画は当時の大管長の許可によりソルトレークの教会本部からの通達によって実行された主の業にもかかわらずそのときの詳細な記録は何一つ残っていないという事です。しかもこの建築に按手任命された建築宣教師達の正確な名前や人数ですら何一つ残されていない事にショックを受け大変失望したのです。しかし気を取り直して『聖徒の道』を入念にもう一度チェックしてゆきました。そして当時の記憶をたどりながら今このように未完成ですが、ある程度の形になってきました。この記録はこれからも更新されるもので、完成されたものではありません。
 ここまでくるために、多くの人々からの協力を快く頂き本当に感謝致しております。この記録は、元建築宣教師の方々、及び古き会員達の記憶の中にあるあの建築制度による教会堂建築を思い出し、信仰と希望に燃えた若き日の情熱が彷佛として涌き上がってくれば幸いです。

皆さんへのお願い
 この記録を完成したいのですが、皆さんの協力が是非とも必要です。元建築宣教師の皆さん!又は、この記録を読んで下さった方々で、皆さんのご両親の中で当時の建築宣教師の方々をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非この建築時代のことをお聞きになり教えて下さい。また元建築宣教師に召されたことのある兄弟の皆さんのアルバムや日記あるいは個人歴史の中にある建築宣教師制度に関する記録を是非ともご提供下さい。特に写真や当時の本部スタッフに関する情報及び元建築宣教師の同僚達に付いて、あるいは一緒に働いた帰還宣教師が帰還する前に一時的に建築宣教師として召された兄弟に付いて、そして自分が働いた場所、現場監督についてなど、その他建築時のエピソードや、又同僚についてのことなど、ありとあらゆる情報をお待ち致しております。又、一緒に働いた同僚達や、監督達、監督の家族、現場の写真等があれば簡単な説明と日付を付け加えて封書又はメールで送って下さい。お願い致します。宛先は次のとおりです。&deco(blue){
 宛先は郵便番号:183-0057
    住所:東京都府中市晴見町1-28-1(11-501)
    電話:042−365−4350 携帯:080-5000-5791
    Fax : 電話と同じ番号
    Mail: sanway@jcom.home.ne.jp

大島長老のハワイでの建築宣教師の経験
 ある日、建築計画以前の「聖徒の道」、1961年4月号を紐解いておりました。すると一つの記事に目が止まりました。当時伝道宣教師として日本で伝道されていたユージン・T・大島長老のハワイでの建築宣教師経験でした。彼のそのときの証詞が載せてありました。その記事とは次のようなものでした。

 「真の喜びと幸福は他人に幸福を付け加える事によって生ずる。自己を忘れよ、そうすればこの世と次の世との喜びは必ず君に来るであろう」

とヒーバー・J・グラント大管長の言葉の中に言ってあります。これはまた、「奉仕」という一語に尽きるでありましょう。私はこの言葉が全く本当であるということが解ります。それは私がかつて奉仕を通して喜びと幸福を経験したことがあるからです。今から四年前、1956年11月の5日に、私はハワイ、オアフ島ライエにあるハワイの教会大学を建てる助けをする為に、勤労奉仕宣教師(建築宣教師のこと)として二年間奉仕をするように召され、このやりがいのある働きの為に私の時間と才能と生活とを捧げる事になりました。私がこの召しを受けた時、勤労奉仕宣教師として奉仕をする事は大きな特権であり、また好い機会であると感じましたから、私はほとんど躊躇せずにその召しに応じました。
 私がそれまでかって感じた事のない喜びと幸福と満足とを経験したのは、そこで勤労奉仕宣教師として働いていた時の事でした。毎日奉仕の働きをして、私達が、善いものを今建てており文字通りに神の僕であることを知るのは素晴らしいことです。また朝に、兄弟達がみな仕事に取りかかる前、仕事着を付けて集合し賛美歌を唱った後、共にひざまずいて祈りを捧げ、これまでに受けた祝福を天父に感謝すると共に、今日もいつも助けと導きとお守りとがあるように願い求める姿を見るのは素晴らしい事です。そのグループの1人となって、その中にある良い精神を経験するのは素晴らしい事です。ここには違った人種、違った年齢、違った場所から召された人々が居ても、一つの群れの中に集って同じ目的の為に喜んで働いていることに目を留めるのは素晴らしい事です。私達が心の中に同じ目標と同じ目的とを持って、一重に神の栄光を表す為に熱心に皆奉仕をしている事を心の中に知りつつ毎日一生懸命働くのは素晴らしい事です。
 教会は、勤労奉仕宣教師の捧げる無料の奉仕によって多額の金を節約しました。それにもかかわらずこれは、勤労奉仕宣教師を得る主の目的ではありませんでした。主な目的と云うのは、働く人々の中に人格を作り上げ、また同時にイエス・キリストの福音を広めることでありました。この勤労奉仕の働きが終ってから、勤労奉仕宣教師の働きに来る前は証詞が弱かったけれども、奉仕の期間が終る頃になって証詞が強くなった兄弟達に対して、また勤労奉仕宣教師とその無料奉仕との話し、および、ハワイの教会大学が勤労奉仕宣教師達の力で建った物語がこれからいついつまでも常に語り草となる話を聞いてから非教会員達が、教会に興味を持つようになった事に対して、この勤労奉仕の働きの目的が充分達せられた事が明らかになりました。
 私はこの勤労奉仕の働きをしている時にサタンの誘惑が強かった事を認めなくてはなりません。また、その仕事が辛い為に多くの者が脱落したことを認めねばなりません。しかし、最後まで耐えた者達には何ら悔いるところが無く、しかもその奉仕に対し色々の方法で祝福が与えられております。
 1958年12月17日に行われた献堂式の時に、私達の心に満ち充ちた喜びと幸福と満足とを言葉で言い表わす事は、困難であります。予言者デビッド・O・マッケイ大管長が立上って献堂の祈りを捧げるのを目の辺りに見、その言葉を耳にするのを如何に幸福に感じたかを言い表わす事は困難であります。また同時に、今日建っている通りの美しい建物をたてる時に経験した事を考えて、いかに幸福に感じたかを言い表わす事は困難であります。建築家にとってはこれらの建物は現実になった夢であり、ライエの人々及び始めにこの仕事に着手された様を見た全ての人々にとってこれらの建物は軌跡であり、またこれらの建物を建てた者達である勤労奉仕宣教師であった私達にとって、これらの建物は今一つの記念碑としてまた永遠に生きて霊感を与えるものとして建って居ります。私は勤労奉仕宣教師として働いた時に得た色々な経験をこの世のどんなものとも取り換えようとは思いません、またどんなに金を積んできても売ろうとは思いません。世界中の金を以てしてもこの貴い経験の価には及ばないからであります。私が生きている限り、私はこの素晴らしい経験を決して忘れません。それは、私が一生の内最も大きな喜びと幸福と満足とを得たのは私が勤労奉仕宣教師として働いた時であり、私が長い間待ち望んでいた福音の心からなる強い証詞を得たのも私が勤労奉仕宣教師として働いた時であり、また日本へ来て改宗者獲得の働きをする為に奉仕をしたいと云う願いを起こしたのも私が勤労奉仕宣教師として働いた時のことであるからであります。また、私は日本へ来てニ年半の期間を以て改宗者獲得の任務に奉仕しておりますから、私は非常に幸福であります。それは私が今一度奉仕をして、今一度この奉仕と云う事を通して与えられる喜びと幸福とを現在経験しているからであります。(原文のまま記載、*注、原文中の勤労奉仕宣教師は建築宣教師の意)ユージン・T・大島長老

 改めて旧い聖徒の道を読み返していたとき、この大島長老の「BYUハワイ校」建設のとき建築宣教師として働かれた証詞には大変感動し、私も同じような経験と証詞を持っておりましたので、この建築宣教師で得た経験と証詞を伝えなければという強い気持に促されました。さらに、1964年6月号「聖徒の道」に「神への奉仕は数えられる」というテーマ−で、寄稿された二代目の建築宣教師お世話役の新田正信兄弟は、民数記 第七章、サムエル記下 第二十三章、ロマ書 第十六章をひも解き、「各章を注意深く読んだ事がありますか。私は、以前不注意に棒読みしていましたが、建築宣教師の諸長老と起居を共にし、祈りの内に読んで、次の事を味わう事が出来ました。それは、神は、全ての奉仕の小さな行為、全ての小さな愛の賜物を、記録する事を喜ぶお方であると云う事。・・・」などから、さらにこの時の記録を残そうと強く考えました。
 これらの記事を元建築宣教師達が何十年も経って読み返すときに、若くしてこの奉仕の業に携わった時代を思い起こすことにより、さらに主への思いを確信し、またこのことを知らない聖徒の皆さんには、知っていただくために(日本における教会歴史の中の事実として)、やはり建築宣教師の歴史を記録しておく必要が有るなと強く思いました。なぜなら、神は全ての事を永遠の記憶の中に覚え止められても、人は記録の中にこそ記憶を残せる以外には、人間の記憶は時間とともに薄れてしまい忘却の彼方に忘れてしまうからです。このことを私は知っていたから、ここにこれらの記録を残すことに決めたのであります。神の教会堂を建築することは主のシオンの礎を築くことと同じことです。これらの教会堂を建築した暁には、この場所は聖別され奉献されるのですから、この場所は聖なる場所となりこれを広げていくことによって、我が日本の地に神の聖別された場所を広げることになるのです。
(3)へ続く

  • 大島長老が残された証によって、当時の建築宣教師のことを学ぶことができました。ありがとうございました。今日当たり前のようにある教会堂は当たり前ではなく、建築宣教師や教会員達の汗と信仰の金字塔だったのですね。 -- 岸野みさを 2018-05-26 (土) 16:04:32

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