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19090701高木 冨五郎

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2019.09.07 自分史・家族史「記録の今昔」 投稿者:高木 冨五郎

我が生涯 冷夢庵 (9)

(記録の今昔1~7は割愛させて頂きました)
(八)
 神田三河町の下宿から出て九段坂を上り、靖国神社の境内を抜けて「一口坂」を横切り市ケ谷見附へ出る。そして見附を後に左内坂の急坂を上へ陸軍士官学校裏門を過ぎて牛込薬王寺町へ行く、その頃の少年たちは大ていの所は徒歩で闊歩したものだ。かねてから札幌の高橋兄弟から紹介されていた「教会」訪問のための此の強行軍であった。
 教会の名は「末日聖徒イエス・キリスト教会」という米国ユタ州ソルトーレーク市に本部をもつ、アメリカ人宣教師が十六名日本伝道のため来朝していた。東京を伝道本部として札幌、甲府、大阪に支部のある「モルモン教会」と言われる教会である。日本伝道部は一九〇一年(明治三十四年)に開かれ一九二四年に一旦閉鎖し、一九四八年(昭和二十三年)再開されて今日に至っているが、今日では北は旭川から南は沖縄まで二十九か所に支部が設けられ素隋らしい発展状況を示している。
 初めての訪間者たる私に玄関で応接した人は伝道部長のアルマ・オ・テイラー長老と宣教師のフレデリック・ケーン長老であった。両名とも日本語の流麗なのに驚かされたが聞けば彼等は既に在日満八年を超過しているとのことであった。

(九)
 ほんとうにこの五十年の星霜はまたたく間に過ぎ去った。本稿も五十年前の明治四十二年(一九〇九年)だけに限って他の四十九年間のことは他の機会に譲ることとしたが、五十年前の東京を偲べばまさに一瞬の夢であって東京に対する郷愁は尽きない。かくて私はいつの間にか新聞記者になった。
私に新聞記者たる道を拓いてくれた恩人として終生忘れ得なない三人の先輩がある。
 第一は私を記者として採用して下さった読売新聞主筆の金崎賢翁である。金崎翁は終戦後満洲から引揚げて晩年を大垣市に悠々自適して居られたが昭和三十七年三月に逝去された。
 第二は読売新聞主筆兼編集局長だった伊達源一郎翁である。伊達翁は私に新聞整理の技能を指導され、海外特派員の経験を与えてくれた。晩年参議院議員を一期六年間勤めて退隠し、郷里松江市に自適生活をして居られたが昭和三十六年逝去した。
 第三は中外商業新報社長だった簗田𨥆次郎翁である。翁は私に記者修養め幾多の機会を与えてくれた忘れ難い恩人である。(一九五四年十一月逝去)
 私はこの三先輩に心から感謝の意を示したい。(一九五九、九、一〇記)


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