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2020.02.22 穀粒記者レポート「祝 ジョセフ・スミス最初の示現200周年記念」投稿者:岸野みさを

うるわしき朝よ

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 1964年に改宗した私はその前年に中央線三鷹駅で宣教師から英会話のチラシをもらって、その週に吉祥寺の白亜の新しい教会堂を訪れた。天井が高く広い礼拝堂に足を踏み入れると、荘厳なオルガン伴奏が流れ、あちこちで人々が小さな声で立ち話をしているのだが、それが何とも言えない暖かい雰囲気を醸し出していた。これは何だろう?今まで感じたことのない不思議なものだった。それは今なら分かる、それは御霊の存在を感じる霊的雰囲気といえるものだった。
 姉妹宣教師が紹介されてレッスンのアポイントがとられた。約束の日に「モルモン経(書)」と「ジョセフ・スミスの見神録」という小さな冊子を渡された。レッスンは「ジョセフ・スミスの見神録」から始まった。この最初の示現についてはっきり理解できたわけではなかったが「これは本当に起こったことだ」と思った。だから、たった14歳の少年が全教派間の迫害と悪口雑言を一身に浴びたのだと思った。アメリカ大陸に於ける「第2次大覚醒」の信仰復興運動と野外伝道集会の騒乱の最中にそれは起こった。この尋常でない騒乱の中で「すべての教派のうちどれが正しいのだろうか?それがどれで、どうすればそれがわかるのだろうか?」と、聖書に記されている神の言葉を信じていた彼は答えをそこに求めた。「あなたがたのうち、知恵に不足しているものがあれば、その人はとがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば与えられるであろう」(ヤコブの手紙1:5)ジョセフは願い求めた。「この聖句がこのとき、かって人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って、わたしの心に力強く迫ってきたのであった」(ジョセフ・スミス歴史1:12)

 そこで神に願い求めるために1820年の早春、美しい晴れた日の朝ジョセフは聖なる森に入って行って初めて声を出して祈ったのである。声を出すまでに闇の力がジョセフの舌をしびれさせるほどの力を振るい、正に打ち負かされそうになった瞬間、「わたしは自分の真上に、太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そしてその光は次第に降りて来て、光はついにわたしに降り注いだ。それが現れるや否や、わたしは我が身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そしてその光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。するとそのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。(ジョセフ・スミス―歴史1:16-17)ジョセフは物が言えるようになるやいなや、その方々に、すべての教派のうちどれが正しいかを尋ねた。すると「それらのどの教派にも加わってはならない、すべて間違っているからである、とのお答えであった。また、わたしに話しかけられた御方は、彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれらの者たちはすべて腐敗しており、『彼らは唇をもってわたしに近づくが、その心はわたしから遠く離れている。
彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまをするけれども神の力を否定している』と言われた。
 その御方は再びわたしに、それらのどれにも加わることを禁じられた。(ジョセフ・スミス歴史1:19-20)そして「完全な福音が将来自分に明らかにされる」と言われた。(教会歴史4:536 シカゴ・デモクラット紙の編集長であるジョン・C・ウエントワースへの返答の一部)

 「わたしは再び我に返ると、自分が天を見上げて仰向けに横たわっているのに気づいた」
(ジョセフ・スミス―歴史1:20)

 こうして父なる神と御子イエス・キリストが14歳の少年ジョセフ・スミスに御姿を現された。ジョセフは顔と顔を合わせて言葉を交わすことができた。「神の顕現」であった。
「わたしの心は愛で満たされ、それから何日もの間、わたしは大いなる喜びに満たされた。主がわたしとともにおられたのである」(「ジョセフ・スミス自伝」3;ジェシー『ジョセフ・スミス私文書集』6)

 紀元325年にコンスタンチヌス大帝によって開かれたケニア会議で、318人の司教が4週間かけて神の御子の神性と人格、神とキリストの同一性について議論し十分な一致に至って作成した公式の宣言はこの最初の示現によって、あっさりと覆されたのである。

 神会を構成する御三方についてジョセフは「御父は人間の体と同じように触れることのできる骨肉の体を持っておられる。御子も同様である。しかし聖霊は骨肉の体を持たず、霊の御方であられる。もしそうでなければ、聖霊はわたしたちの内にとどまり得ない」((D&C 130:22)という証を得た。

 「神は一人の御方であられ、イエス・キリストは父なる神とは別の御方であられ、聖霊も別の御方であって霊の御方であられる。この御三方は3人の異なった方々であり、3人の神々であられます」(1844年6月16日 イリノイ州ノーブーで行ったジョセフ・スミスの説教)

 「体や器官のないものは無です。天には肉や骨を持っておられる神のほかに神はおられません」(ノーブーで行ったジョセフ・スミスの説教 日付不詳)

 ジョセフはヤコブの「知恵に不足している者は神に願い求めることができ、とがめを受けることなく知恵を得られる」という証を得た。

 ジョセフは自分の体が万物を創造された御方の姿形に似せて造られていることの証を得た。

 私(筆者)は当時を思い起こすと前記のように「この神聖な最初の示現は本当に起こったことだ」と思った。そしてレッスンを重ねていくに従ってその確信が強くなっていった。

 1823年9月21日 天使モロナイがジョセフを訪れて果たすべき使命が告げられた。
「~神がわたしのなすべき業を備えておられること、またわたしの名が良くも悪くもすべての国民、部族、国語の民の中で覚えられること、すなわち、良くも悪くもすべての民の中で語られることをわたしに告げられた。(ジョセフ・スミス―歴史1:33)

 完全な永遠の福音が刻まれている金版が埋められていることが告げられた。
 主の大いなる恐るべき日がくることが告げられた。
 その前に預言者エリヤの手によってあなた方に神権を現そうと告げられた。
エリヤは先祖に与えられた約束を子孫の心に植え、子孫の心はその先祖に向かうであろう。
そうでなければ、主の来臨の時に、全地はことごとく荒廃するであろう。と告げられた。
(歴史1:34-37)

*モロナイはマラキ書第3章の一部を述べ、第4章では再臨の前に預言者エリヤを遣わすと述べた。エリヤは1836年4月3日、カートランド神殿に現れてジョセフ・スミスとオリバー・カウドリーに神権に関する全ての儀式を執行する数々の鍵を授けた。
*イザヤ書第11章を引用されて、
 「エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び~」という預言が正に成就しようとしていると告げられた。エッサイとはダビデの父の名であるがエッサイの株とはイエス・キリストを指し芽とはヨセフの家の子孫であるジョセフ・スミスを意味している。
*使徒行伝第3章22、23節を引用されて、この預言者とはイエス・キリストのことであると言われた。
*ヨエル書第2章28節を引用され、これは間もなく成就すると言われた。
そして3回訪れて同じことを少しも変えずに繰り返し述べられ、ジョセフとモロナイは一晩中会見していたことになった。

 私(筆者)は福音を学んでいくに従って、ジョセフ・スミスが一介の少年ではないことが分かっていった。モロナイの宣言をすべて理解できるほどに聖書に親しみ精通していたジョセフは、旧約の時代から聖なる予言者によって預言されていた人物であった。

 私(筆者)にとっては旧約聖書の中でエジプトに売られたヨセフの生涯が最も印象的で父ヤコブがヨセフに残した祝福が気になっていた。12人の息子の中で最大の祝福を受けたヨセフはエジプトで生まれた二人の息子のエフライムとマナセを通して2倍の嗣業を受け継いだ。「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝はかきねを越えるであろう」(創世記49:22)ヨセフの枝は東半球から西半球に垣根を越えたのだ。また、ヨセフはエジプトに於いて示現でニーファイ人を見た。末日の聖見者ジョセフ・スミスとイスラエルを救い出すモーセと世に出る『モルモン書』について預言した。(2NE:3章)

 「ヨセフはまことに証して言った。『主なるわたしの神は、一人の聖見者を立てられる。
それはわたしの腰から出た者のためのえり抜きの聖見者である。……わたしはその聖見者に……一つの業を行うように命じよう。……そのために、あなたの腰からでた者は書き記す。(モルモン書)またユダの腰から出た者も書き記す。(聖書)そして、あなたの腰から出た者が書き記すものと、ユダの腰から出た者が書き記すものは一つに合わされて、偽りの教義を打ち破り、争いを鎮め……」(2NE3:6-14)

 「その聖見者の名はわたしにちなんで付けられ、また、その名は彼の父の名を取って付けられる。そして彼はわたしのようである。主が彼の手により、主の力によってもたらされるものが、わたしの民を救いに至らせるからである」(2NE3:15)

 私(筆者)は1970年10月ソルトレーク神殿で大祝福師であるエルドリッチ・G・スミスから祝福を受けて、血統が宣言されたときエジプトに売られたヨセフに親しみを持ったことの意味が分かったのだった。

 下記は2005年に行われたジョセフ・スミス生誕200年記念に応募した作品で詩分野に於いて第1位を受賞できました。再度になりますが皆さまにご紹介します。

「とぎすまされた矢」

悠久の時のかなたで預言され
万物更新の末の日に
回復の御業のために矢となった
少年預言者 その名はジョセフ

聖なる森で栄光の御二方と相まみえ
クモラの丘で天使から
分かりやすくて尊い福音
天から義 地から真理を授かった
聖見者なるジョセフ・スミス

神の顕現 天使の訪れ
人の世のあざけりと暴虐
製錬者の火のごとく降りかかる
投獄されても彼は耐え ただ、ひたすらに
主の業をなし 民を救いに至らせた

絶えざる啓示の旗のもと 集いし
心の清きもの 迫害の猛威から幾度逃れ
ノーブーを築いた開拓者たち
地の果てまでも広め行く
イエス・キリストの教会は回復されたと

大義に生き 大義に死んだ
預言者の短い生涯
ジョセフは誉れ ジョセフは愛
我ら主の民 からし種の信仰もて
示された展望を行く

天使のラッパよ鳴り響け
世界の四隅に鳴り響け
主を待ち望む人々よ 共に歌おう新しき歌を
神の恵みの偉大さよ
神の計画の偉大さよ

  • 素晴らしいです。パッションを感じる詩ですね。 -- 文美 2020-02-27 (木) 17:32:45
  • ありがとうございます。
    いつも励まされます。 -- 丸山 幹夫 2020-03-02 (月) 10:55:17

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