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2020.09.29 自分史・家族史「気づく」 投稿者:ルシア

何も置いてないシンクを見るたび幸せに包まれる。それは家族の協力のあらわれだからだ。汚れた食器を放置するのが嫌いな私はこれまでシンクを見るたびに置いてあるコップ等を1日に何回洗っただろう。今年、コロナ自粛で家にいることになった家族に言った。「使ったコップと朝昼の食器は自分で洗ってね」と。喉が乾くたびに次々と新しいコップを使う子供たちに、その先のそれを洗う人の存在も考えて欲しかった。以前から、「作る時に使用したものを洗うまでがお料理だからね」とは教えてきた。それは私が母に教えられたことだ。今回はステージを上げ、片付けの終わった何もないシンクに、平気で自分の使った食器を放置されるのは悲しい、ことも伝えた。

「友達はお母さんが全部やってくれるよ!」子供の常套句だ。
「あのね、親の役目は子どもを自立させること。やってあげるのも愛!自分でやらせるのも愛!ママが一人で全部、家事をやらなくちゃいけないわけじゃないよ?家事は住んでる人がいて発生することだから本当は家族みんなの役割だよ」と応える。

「想像力がないものは愛がない」大好きな本の忘れられない一節が心に浮かぶ。服やゴミ、本やゲームが放置されてる時も「このまま、自分が片付けなかったら、それを片付ける人がいることを想像しなさい」と声をかける。ほんとは何も言わずに私がやった方が早い。本人が不在の時、帰宅を待って片付けさせるのは忍耐と根くらべだ。

疲れてそうな時は、「洗っておこうか?」と声をかけると「ありがとう!」とかえってくる。今まで気付きさえしなかったことが、自分がやるのが当たり前になると、感謝に変わる。

主の御手となって働くには「気づき、行う」ことが大切だ。相手の立場になって考える想像力も助けとなる。家事を通しても学んでくれたらと願ってる。 

  •  私の妻もルシアさんと同じでしたが、6年前脳梗塞を患って以来、左半身が不自由になり、左手に思うように力が入らなくなり、炊事が出来なくなりました。娘たちが居る時には娘たちがやってくれるのですが、仕事で毎日遅くまで皆働いていますので、結局夫である私が炊事の大部分をやっています。炊事をやっていて思ったことは、今まで何十年もこのような炊事や家事仕事をやってきて一度も文句を言ったことがないのには、感心しています。毎日炊事だけしかしていませんがそれでも3食の炊事は私にとって今まで経験がなかった私故に大変な重労働だと感じています。本当に妻には感謝しかありません。今までの妻の苦労にほんの少しだけでも助けになっていればと思っています。 -- 工藤駿一 2020-09-29 (火) 10:13:21
  • ルシアさん聡明な母上です。「この母にしてこの子たちあり」の典型ですね。お子さんたちの将来を見ることができないのは残念です。 -- 岸野 みさを 2020-09-29 (火) 21:28:04
  • 工藤様
    知りませんでした。一時は大変だったと思います。男の料理もいいものじゃないですか? -- 岸野 みさを 2020-09-29 (火) 21:31:19

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