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2023.05.20 エッセイ「栗の花」 投稿者:徳沢 愛子

 昔犀川辺りの散歩道に立派な栗の木があった。五月下旬、白猫の長いしっぽのような花をふさふさ咲かせた。強烈な匂いと共に。
 当初は栗の花とは知らなかった。余りにも花らしからぬ花であったから。遠くから見ると、うっすら季節外れの淡雪をかむっているような風情であった。あの頼りなげな細く白い花房と、イガイガ、チクチクの栗とはどうしても結びつかなかった。その上、あの独特の匂い。創造主である神はどういう意図であの空中でたおやかに揺れている栗の花と、イガイガに守られた艶やかな栗を組み合わされたのか。意表を突く自然界の営みである。
 
 昔から栗という「西の木」に西方浄土を重ねた人々は、それを大事にしてきた。大仏開眼のころの行基は、住居の柱に栗の木を用いたという。それくらい栗は存在感があった。

 芭蕉と弟子の曾良は、鋭い視点でその栗の花を詠んだ。彼らは花とも見えない花を、世の人々に逆らって愛でたようだ。「世の人の見つけぬ花や軒の栗」。この花らしからぬ花と、難しい修行を二股にかけたのだ。「隠れ家やめにたたぬ花を軒の栗」として詠んだのだが、それを推敲したのが、はじめの「世の人の見付けぬ花や軒の栗」である。隠れ家を消し、ゆかしさを消し、ただ世の人が気にもとめない花を「自分は見つけたよ」と。その一瞬の喜びを表現したのだ。

 推敲という言葉は、私にとっては、耳が痛い。一瞬の感覚で言葉を掬い上げてしまう。決定してしまうことのあやうさがある。が、でもと思う。一気の表現も時にパワーがあるのでは?と。

詩と詩論 笛 2021年4月295号 詩辺雑記 より。 

  • 美味しい栗の実になるための過程は摩訶不思議ですね。芭蕉師匠のお見事な句があったんですね。私は栗の木につく白くて大きな毛虫が大の苦手です。「軒の栗」ぞろ毛虫もいそう? -- 岸野 みさを 2023-05-22 (月) 15:52:34

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